1993年10月28日
サッカーワールドカップのアジア予選。
1位で最終戦に臨んだ日本チームでしたが、ロスタイムにイラクの同点ゴールが入りワールドカップ出場を逃す『ドーハの悲劇』が起こりました。
いろいろな理由はありますが、左サイドバックの都並選手が予選途中で負傷欠場。
それまでは固定メンバーで戦ってきたため、代わりとなる選手が不在の中、この一つ前の試合では三浦泰年選手を起用するも、守備面で不安を欠き、センターバックの勝矢選手を起用し望んだ最終戦でした。
結果論ですが、控えメンバーの重要性と、最後まで気を緩めない事が大切と言うことを思い知らされた試合でした。